免疫学の今 ~ キマイラの実現へ:異種移植② ~

2023.11.01

子ヒツジの性格を感染させ、イヌの骨で頭蓋骨を補う ―異種移植の黎明期―

 異種移植の歴史は17世紀にさかのぼります。所説ありますが,1667年にフランスで国王の顧問医師も務めたドゥニ(1643-1704)が、高熱に苛まれていた15歳の青年に子ヒツジの血液を輸血したものが始まりではないかといわれています。命を落としかねない非常に危険な行為ですが、輸血後、青年は顕著な回復をみせたとの記録が残っています。おそらく、青年が若かったこと、輸血の量が少なかったことなどから、輸血における拒絶反応に耐えられたのではないかと考えられています。さらにドゥニは、気性が穏やかな子ヒツジの血液を輸血することで精神疾患が治癒できるのではと考え、34歳の精神疾患患者に輸血を試みます。しかし、輸血の翌日にその患者が亡くなったことで殺人罪に問われ、結果、フランスのみならずヨーロッパ全体でもこのような輸血行為は禁止となり、しばらく表舞台から姿を消すこととなりました。

 この輸血とほぼ同時期の1668年、動物の骨を利用した骨移植の記録が残っています。ロシアの貴族が頭蓋骨の損傷をイヌの頭蓋骨のかけらで修復したというものですが、この行いは宗教的に人間の尊厳を傷つけるものであるということになり、手術の2年後に移植した骨を摘出する処置を受けています。その後しばらくの間、異種移植に関する記録を見つけることはできませんが、19世紀後半になると、ウサギの眼やヒツジの尿道、皮膚にいたってはさらに多くの移植を試みた形跡を見ることができます。皮膚移植においては、あらゆる動物が実験に用いられたようで、その中で最も多く採用されたのはなんとカエルの皮膚でした。

 20世紀に入ると、これまでのような組織や皮膚ではない、実際の臓器の移植が動物からヒトへと行われるようになります。異種臓器移植の最も古い例は、1902年のウィーンのウルマン(1861-1937)による、ブタをドナーとした腎移植だと言われています。続いて、1905年にはフランスのプランストー(Princeteau生没?)がウサギの腎臓の切片を腎不全の子どもに、翌年にはジャブウレイ(1860-1913)がブタとヤギの腎臓をヒトに移植しています。免疫抑制剤のない時代の移植であるため、どれも拒絶反応によって失敗に終わったことは容易に想像できますが、そもそも当時は血管と血管を繋ぐ外科技術自体が不十分だったといわれています。

血管は縫える!拒絶反応の発見と闘い ―移植外科技術の確立、移植拒絶反応の発見、そして免疫抑制剤の登場へ―

 移植の外科技術は、フランスの外科医で後にノーベル生理学・医学賞を受賞するカレル(1873-1944)によって確立されました。カレルは1910年までに現在の血管外科の技術を動物実験のレベルですべて開発したと言われています。カレルはこの外科技術を用い、イヌやネコの腎臓、心臓、脾臓を移植する実験を試みました。これらの過程で、自家移植、同種移植、異種移植でそれぞれ臓器の生着に差があることに着目し、自家移植では拒絶は起こらず、異種移植は同種移植よりも急速に拒絶されることを見出し、ここに臓器移植の拒絶反応が明確に認識されることとなりました。そして異種移植はすぐに失敗するものだと見なされるようになり、1940年代後半からは同種移植により関心が向けられるようになります。しかし、その同種移植も脳死がドナー候補者の死亡の確認基準として承認される前の時代だったこともあり、すぐにドナー不足の問題が認識されるようになりました。

 免疫拒絶反応とドナー不足は今も昔も移植医療における最も大きな障害ですが、そもそも免疫抑制剤が発見されるまでは移植手術の成績は散々なものでした。免疫抑制剤が登場する前は、放射線全身照射が臨床における唯一の手段であり、成績も悪く、しかも致死量に近い照射が必要ということもあり、とても実用的ではなかったと言われています*1。そのような時代に放射線照射の限界を痛感したカーン(1930-)は、薬による拒絶反応の抑制、つまり“免疫抑制剤”という手段に着目し、犬の腎移植実験でアザチオプリン*2の有効性を見出し、移植した腎臓を長期に生着させることに成功しました。

 1950年代にはメダワー(1915-1987)が皮膚移植におけるステロイドの免疫抑制効果を証明し、そして1960年代には前述したアザチオプリンの臨床応用における同種移植の成績が向上したことよって、動物の腎臓、心臓、肝臓を用いた異種移植が再び試みられるようになりました。しかし、同種移植とは異なりその結果は絶望的で、特に先に述べた超急性拒絶反応のため、霊長類以外を用いた場合の成績は極めて悪く、1日以上生存できた患者はいませんでした。ただし、この時代に行われたチンパンジーをドナーとした腎移植においてのみ、移植患者である23歳の女性は9か月も生き延びることができ、これは臓器異種移植の記録として現時点においても最長のものとされています。しかも死因は拒絶反応ではなく電解質の不均衡とされ、なぜこんなにも長く生存できたのか、今なお謎が残ります。そして、1970年代の終わりには免疫抑制剤のシクロスポリン、1992年にはタクロリムスが導入され、同種臓器移植の成績は著しく向上しました。それは異種移植においても同様で、1984年にロマリンダ大学のベイリー(1942-2019)らによって行われたヒヒ-ヒト間の異種心移植では20日、そして、1992年と93年にピッツバーグ大学のスターツル(1926-2017)のチームが行ったヒヒ-ヒト間の異種肝移植では患者は約70日間生存し、異種移植に世界中の注目が集まりました*3

日本人医師による世界初の異種肝移植

 このように異種移植における先人の功績を振り返る時、一人の日本人医師の活躍に目が留まります。アメリカで千例を超える肝臓移植手術を経験、1997年に北海道大学医学部教授となり、日本の臓器移植医療の普及に尽力し続けている藤堂省先生です。藤堂先生は臓器移植の父と称されたスターツル博士のもとで臓器移植を学び、アメリカのピッツバーク大学における臓器移植チームの一員として1992年6月28日、世界で初めてヒヒの肝臓を肝不全患者に移植する手術を行い、その名が世界に知られるところとなりました。移植手術を受けた患者さんは残念ながら72日後に亡くなりましたが、異種移植に臨む患者さんの言葉を藤堂先生は次のように語っています。

「まず肝臓を治して生き延び、(略)移植が成功すれば、自分の生き方がまっとうできる。もし失敗しても、あなたがた医師はその経験と知識を将来に生かせるわけだ」
何事も前向きに考える米国人の神髄を見ましたね。

(日本経済新聞 1997/09/17 夕刊)

 先にも述べたように、異種移植にはさまざまな議論があり、誰もが納得のいく答えを見つけることは非常に難しい問題です。ただ、自身の命をもってして異種移植の未来に貢献したいと願う患者さんの思いは尊く、決して無駄にしてはならないものでしょう。そしてそれを誰よりも理解しているのが現場で移植医療に携わる人びとなのだと思います。

*1:腎移植の成績に大きく寄与したアザチオプリンが登場する前の1950年代において、世界で実施された30例ほどの腎移植は一つを除いてすべてうまくいきませんでした。その一つが、マレー(1919-2012)が行った一卵性双生児間の生体腎移植です。これは一種の自家移植であり、お互いがお互いを“自己(自分)”とみなして拒絶しないためです。

*2:アザチオプリンを発見したエリオン(1918-1999)とヒッチングス(1905-1998)は、「薬物療法における重要な原理の発見」によって1988年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

*3:免疫抑制剤の登場で臓器移植の成績が向上したことに疑いの余地はありませんが、西洋医学における薬というのはそもそも諸刃(もろは)の剣であり、使い方やその量によっては薬どころか毒にもなる性質があります。特に免疫抑制剤というのは毒は毒でも猛毒と言えるほど扱いの難しい薬剤です。その投与量や血中濃度によっていとも簡単に重篤な副作用が起きるため、免疫抑制剤の適正な使用方法の研究は欠かすことはできません。

考資料

  • 山内一也 『異種移植 21世紀の驚異の医療』 河出書房 1999
  • デイヴィット・クーパー、ロバート・ランザ 山内一也訳 『異種移植とはなにか 動物の臓器が人を救う』 岩波書店 2001
  • History of xenotransplantation, Xenotransplantation Vol.12, Issue2, 2005
  • 筒井康隆 『心狸学 社怪学』 講談社 1969
  • 小林泰三 『人獣細工』 角川書店 1997
  • 異種移植は本格化するのか | m3.com
  • 異種移植とは 動物の生きた臓器などを人に移植: 日本経済新聞 (nikkei.com)
  • 東條英昭,異種移植用遺伝子改変ブタの開発の動向と展望,日獣生大研報 64, 1-9, 2015
  • MIT Tech Review: 世界初のブタ心臓移植患者、 ウイルス感染が死亡の一因か (technologyreview.jp)
  • 日本経済新聞 1992/06/29夕刊、1997/09/17夕刊
  • 移植希望者数の推移|日本臓器移植ネットワーク (jotnw.or.jp)
  • 山田和彦・佐原寿史・関島光裕、夢ではなくなった異種臓器移植と免疫寛容誘導戦略の重要性 : 独自の免疫寛容誘導療法による異種移植の臨床応用への試み、Organ Biology, vol 25 no.2, 2018
  • 聖杯、キリストの血を受けた聖遺物、その行方。語り継がれる伝説とは – waqwaq (waqwaq-j.com)
  • 豚の心臓を移植した初めての男性、死因は豚特有のウイルスだった可能性【Gadget Gate】 – PHILE WEB
  • 動物臓器の人への移植に安全指針策定へhttps://www.yomiuri.co.jp/science/20220822-OYT1T50101/
  • 遺伝子操作したブタの心臓、脳死患者に移植 研究の一環で(1/2) – CNN.co.jp
  • 輸血の歴史|大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)
  • 脱蛋白異種骨の耳鼻科領域に於ける使用経験 耳鼻咽頭科展望 1966, vol.9. no.1
  • 下田貢,窪田敬一,アレルギー免疫治療の最新の進歩 移植免疫の進歩 ─臓器移植を中心に─,Dokkyo Journal of Medical Sciences 41(3):325-328, 2014
  • 落合武徳,磯野可一,臓器移植における拒絶反応の抑制,千葉医学 73: 133-144, 1997


奥村 康 (おくむら こう)先生
好きなもの:ワイン、赤シャツ、カラオケ(そして神戸)
千葉大学大学院医学研究科卒業後、スタンフォード大・医、東大・医を経て、1984年より順天堂大学医学部免疫学教授。2000年順天堂大学医学部長、2008年4月より順天堂大学大学院アトピー疾患研究センター長、2020年6月より免疫治療研究センター長を併任。 
サプレッサーT細胞の発見者、ベルツ賞、高松宮奨励賞、安田医学奨励賞、ISI引用最高栄誉賞、日本医師会医学賞などを受賞。
垣生 園子 (はぶ そのこ)先生
好きなもの:エビ、フクロウ、胸腺
慶応義塾大学医学部卒業後、同大学院医学研究科にて博士号取得。同大学医学部病理学教室助手、ロンドン留学等を経て、1988年に東海大学医学部免疫学教室初代教授に就任。2008年より同大学名誉教授、順天堂大学医学部免疫学講座客員教授。
第32回日本免疫学会学術集会 大会長、 日本免疫学会理事(1998-2006)、日本免疫学会評議委員(1988-2007)、 日本病理学会評議委員(1978-2007)、日本学術会議連携会員
内藤記念科学振興財団科学奨励賞(1989)、 日本ワックスマン財団学術研究助成賞(1988)、日本医師会研究助成賞(1987)を受賞
谷口 香 さん(文・イラスト)
好きなもの:お菓子作り 大相撲 プロテイン
学習院大学文学部史学科卒業
同大学大学院人文科学研究科史学専攻博士前期課程中途退学

学生時代は虫を介する感染症の歴史に忘我する。とりわけツェツェバエの流線型の外見の美しさとは裏腹の致死率ほぼ100%(未治療の場合)という魔性の魅力に惹かれてやまない

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