免疫学の今 ~ キマイラの実現へ:異種移植① ~

2023.03.01

キマイラの実現へ ―クリスパー・キャス9の登場と異種移植*1の進歩-

理想的な方法は、たとえばブタのように入手と処置が容易な動物の臓器を人に移植することだろう。(略)臓器移植の将来は、ヘテロの移植[異種移植]が可能かどうかにかかっている」 

―1907年 アレクシス・カレル(1873-1944):移植拒絶反応の発見者
1912年ノーベル生理学・医学賞受賞

 名作というものはリメイクを繰り返しながらいつの時代も唯一無二の存在感で私たちのそばに在り続けるものですが、そんな名作とよばれる作品の中に『時をかける少女』という日本のSF小説があります。50年以上前の作品にも関わらず、今読んでも斬新で、最近では珍しくなくなったタイムリープものの先駆けとも呼べる小説です。作者である筒井康隆さんは、当時「SF御三家」の一人とも称され、他にも数多くのSF作品を手掛けていますが、その中に、『条件反射』という異種移植を扱った短編小説があります。『時かけ』の約2年後に出版されたこの作品は、同じSFジャンルでありながら『時かけ』の持つ青春の淡さや恋愛的要素が微塵も感じられないブラックユーモアに満ちており、1968年の札幌医科大学で行われた心臓移植と発表時期を同じくすることから、当時の臓器移植に対する世論や時事的な背景を基に生まれた作品ではないかと言われています。

 異種移植をテーマにしながら移植の大きな障害である拒絶反応そっちのけで話が進むこの物語では、交通事故に遭って一命はとりとめたものの、ブタの胃、イヌの心臓、ウマの肝臓を移植されることと引き換えに生き永らえる主人公の悲哀がコメディタッチで描かれています。「おれは人間動物園だ」と嘆く主人公に、「そんなことはない」と諭す人々、同情する人々、面白がる人々など、異種移植という当時まだ空想の領域から脱していなかった医療に対する不謹慎な人間の本音が如実に表現されています。作中では、やがてドナー動物の性質がレシピエントである主人公の身体に現れ始めます。お皿に顔ごと突っ込んで食事をし、ごみ捨て場の残飯を漁りたくなる衝動を抑えきれないなど、臓器移植によってドナー動物の習性や性質までもが患者に乗り移ってしまうという、一見非科学的な、しかし、まったくあり得ないとも言い切れない未知の医療に対する不安が描写されています。現在でも異種移植は同種移植*2と比較すればまだまだ未踏の領域であり、そのリスクも未知数な側面があります。それでも、「このまま死んでしまうのであれば、例えドナーが人間でなくても挿げ替えて生き延びたい」と切実に願う末期臓器不全の患者さんはこの世に、恐らく、少なからず存在しています。

 その証しに、2022年1月7日、日本から遠く離れたアメリカ東海岸のメリーランド大学で、遺伝子操作を施したブタの心臓が世界で初めてヒトに移植されました。このセンセーショナルなニュースはすぐに世界中を駆け巡り、日本のテレビや新聞でも大きく取り上げられました。臓器移植の進歩を象徴したかのようなこのニュースに、「移植医療はもうそんなところまできているのか」「動物の臓器を移植するなんてSFの中の話ではなかったのか」と驚いた人も少なくなかったのではないでしょうか。この心移植ほどは大々的に報じられませんでしたが、脳死患者を対象にした異種移植の試みはすでに行われており、2021年にニューヨーク大学とアラバマ大学でブタの腎臓が脳死患者に移植されています。そして前述したメリーランド大学における心移植の後にニューヨーク大学で立て続けに脳死患者へのブタの心移植が行われています。このような流れを受けてか、同年8月、日本の厚生労働省が日本医療研究開発機構(AMED)に研究班を設置し、異種移植に関する検討を2023年度から約3年かけて実施することが報じられました。

 移植とは意は異なりますが、異なる種の特徴をもつ生き物は古代から人気のあるモチーフとして存在しています。ギリシア神話のキマイラ*3(キメラ)やスフィンクス、インドのガネーシャやガルーダ、アンデルセン童話の人魚姫など、枚挙にいとまがありません。いずれも人間の想像力が生み出した夢想の産物ですが、異種移植という手段をもってして、現実にそのようなことは可能となるのでしょうか。

ドナーはブタ!

 ヒトと近い動物といえば、まずチンパンジーやオランウータンなどの類人猿が真っ先に思い浮かびます。ですが、実際の異種移植におけるドナーはブタが主流であり、アメリカではすでに遺伝子改変された移植用ブタが数多く開発されています。ブタというと、ブタの大動脈弁を用いた人工弁で心臓を治療する手術は既に広く行われていますが、これは生きた組織ではないため異種移植とは呼ばれていません。

 ブタがドナーとして最も選ばれる重要な理由の一つに、古くから食用として用いられている歴史があり、倫理的な抵抗感が少ないことが挙げられます。また、ブタの心臓の解剖がヒトの心臓に似ていることも大きな理由です。例えば、ヒツジやウシの心臓では毛細血管が細く、ヒトの赤血球がそれを通ることはできません。ですが、ブタの心臓ならそれが可能です。

一方、ヒトに最も近い「旧世界サル」と呼ばれるサルの中で、希少種ではない等といった理由で異種移植が認められてきたヒヒは、臓器の大きさや生理機能の面でブタよりもヒトに近いとされる一方、ブタに比べて圧倒的に数の確保が難しく、また、出産可能になるまでの年数、妊娠期間、一度の出産頭数において格段にブタに劣ります。しかもブタは、特定の病原体感染のないブタ(SPFブタ)の開発が成功したことによって微生物汚染の少ない動物となり、ブタが研究の主流となりました。

 このような理由からブタがドナー動物として選択された経緯がありますが、ブタにはヒヒにはない移植上の大きな障壁があります。それは「超急性拒絶反応」と呼ばれる臓器の急速な破壊です。早ければ数秒以内に発症するこの免疫反応は、ヒトと進化上大きく隔たった動物で異種移植を行った場合に見られる反応です。ヒヒをはじめとする旧世界サルと呼ばれるサルをドナーとした場合にも起こりますが、ブタに対する免疫反応はより激しくなります。これはヒトや霊長類以外が持つ抗原に対する免疫反応で、それ以外にも致命的な移植の障害となる反応があり、それらを克服することが異種移植成功のカギだと考えられています。これらの移植を妨げる遺伝子の改変は大変難しく、しばらくの間異種移植研究は停滞を余儀なくされていましたが、2012年にゲノム編集技術であるクリスパー・キャス9(2020年にノーベル化学賞を受賞)が開発されたことによって、容易に、しかも複数の遺伝子を同時に改変することが可能となり、先に述べたブタ特有の免疫抗原を選択的に排除することが可能になりました。そして2016年、ヒトと同じ霊長類であるヒヒへのブタの心臓移植で900日を超える生着に成功したことが後押しとなり、昨年の脳死患者へのブタの腎移植、そして今年1月の不整脈患者へのブタの心移植に至ります。

異種移植のリスク

 今回のヒトへの異種移植に使用されたブタの心臓は、アメリカのユナイテッド・セラピューティクスの子会社レヴァイヴィコア(Revivicor)が開発した10の遺伝子を操作したブタのものです。レヴァイヴィコアはアメリカの数ある移植用ブタの開発を行う企業の一つで、徹底した飼育環境で遺伝子改変を行ったブタを飼育し、いずれブタの異種移植の実用化が実現した際にはさらに大きな注目を集めることになると思われます。ただ、今回の心移植において、レシピエントであるデビッド・ベネット氏は移植から約2か月後に亡くなり、その後、移植した心臓がブタサイトメガロウイルスに感染していたことが判明しています。直接の死因とは考えられてはいないものの、もしブタウイルスが患者の体内で適応し、医療従事者の間に感染が広がることになれば新たなパンデミックを引き起こす可能性があります。事実、近年の異種移植における最も重要な問題は拒絶反応の抑制ではなく移植患者や一般大衆へのウイルス感染のリスクだとも考えられています。これはヒトからヒトへの同種移植では考えられない問題であり、異種移植のリスクとして患者を生涯モニタリングしていかなければならない深刻な問題です。

*1:イヌ-サル、ブタ-ヒトなど、異なる種の間で行われる移植のことですが,メディアで一般的に報じられているのは主にヒトに対する動物の臓器や細胞、組織の移植です

*2:ブタ-ブタ、ヒト-ヒトなど、同じ種の間で行われる移植

*3:キマイラ(キメラ)はギリシア神話に登場する、上半身がライオン、下半身がヤギ、尾がヘビという怪物です。一つの身体に複数の生き物の一部が共存する怪物の逸話はギリシアのみならず世界中に点在しています。最古のものとしては、今から2万年ほど前に描かれたフランスのラスコーの壁画の鳥人間が有名です。壁画には600頭以上の動物が描かれていますが、人らしき絵はこれだけで、鳥の頭を被ったシャーマン(呪術師)であるという説もありますが、いずれにしても、複数の生物が一つの身体に共存しているというあり得なさが、計り知れない恐ろしい力を持つというイメージに繋がっているのではないでしょうか。日本にも鵺(ぬえ)という妖怪が、顔がサル、足がトラ、胴体がタヌキ、尾がヘビという風貌で、夜な夜な帝を脅かす怪物として『平家物語』に登場しています。生物学上でも、このように一つの個体に異なる遺伝情報を持つ細胞が共存している状態を、ギリシア神話の怪物キマイラに由来して「キメラ」と呼びます。臓器移植を考える時、免疫抑制剤を投与することなく他者の細胞が拒絶されずに自分の身体に生着しているキマイラは、まさに理想の姿といえるでしょう。事実、キマイラはアメリカ移植外科学会のシンボルに起用され、第30回日本移植学会総会においては鵺(ぬえ)とともにロゴマークに採用されています。はるか遠い昔、古代ギリシア人が神話上の怪物として恐れたキマイラは、3000年以上の長い年月を経て、姿かたちは異なれどもまもなく実現可能な域に達しようとしています。

考資料

  • 山内一也 『異種移植 21世紀の驚異の医療』 河出書房 1999
  • デイヴィット・クーパー、ロバート・ランザ 山内一也訳 『異種移植とはなにか 動物の臓器が人を救う』 岩波書店 2001
  • History of xenotransplantation, Xenotransplantation Vol.12, Issue2, 2005
  • 筒井康隆 『心狸学 社怪学』 講談社 1969
  • 小林泰三 『人獣細工』 角川書店 1997
  • 異種移植は本格化するのか | m3.com
  • 異種移植とは 動物の生きた臓器などを人に移植: 日本経済新聞 (nikkei.com)
  • https://core.ac.uk/download/pdf/233917145.pdf
  • MIT Tech Review: 世界初のブタ心臓移植患者、 ウイルス感染が死亡の一因か (technologyreview.jp)
  • 日本経済新聞 1992/06/29夕刊、1997/09/17夕刊
  • 移植希望者数の推移|日本臓器移植ネットワーク (jotnw.or.jp)
  • 山田和彦・佐原寿史・関島光裕、夢ではなくなった異種臓器移植と免疫寛容誘導戦略の重要性 : 独自の免疫寛容誘導療法による異種移植の臨床応用への試み、Organ Biology, vol 25 no.2, 2018
  • 聖杯、キリストの血を受けた聖遺物、その行方。語り継がれる伝説とは – waqwaq (waqwaq-j.com)
  • 豚の心臓を移植した初めての男性、死因は豚特有のウイルスだった可能性【Gadget Gate】 – PHILE WEB
  • 動物臓器の人への移植に安全指針策定へhttps://www.yomiuri.co.jp/science/20220822-OYT1T50101/
  • 遺伝子操作したブタの心臓、脳死患者に移植 研究の一環で(1/2) – CNN.co.jp
  • 輸血の歴史|大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)
  • 脱蛋白異種骨の耳鼻科領域に於ける使用経験 耳鼻咽頭科展望 1966, vol.9. no.1
  • 下田貢,窪田敬一,アレルギー免疫治療の最新の進歩 移植免疫の進歩 ─臓器移植を中心に─,Dokkyo Journal of Medical Sciences 41(3):325-328, 2014
  • 落合武徳,磯野可一,臓器移植における拒絶反応の抑制,千葉医学 73: 133-144, 1997

奥村 康 (おくむら こう)先生
好きなもの:ワイン、赤シャツ、カラオケ(そして神戸)
千葉大学大学院医学研究科卒業後、スタンフォード大・医、東大・医を経て、1984年より順天堂大学医学部免疫学教授。2000年順天堂大学医学部長、2008年4月より順天堂大学大学院アトピー疾患研究センター長、2020年6月より免疫治療研究センター長を併任。 
サプレッサーT細胞の発見者、ベルツ賞、高松宮奨励賞、安田医学奨励賞、ISI引用最高栄誉賞、日本医師会医学賞などを受賞。
垣生 園子 (はぶ そのこ)先生
好きなもの:エビ、フクロウ、胸腺
慶応義塾大学医学部卒業後、同大学院医学研究科にて博士号取得。同大学医学部病理学教室助手、ロンドン留学等を経て、1988年に東海大学医学部免疫学教室初代教授に就任。2008年より同大学名誉教授、順天堂大学医学部免疫学講座客員教授。
第32回日本免疫学会学術集会 大会長、 日本免疫学会理事(1998-2006)、日本免疫学会評議委員(1988-2007)、 日本病理学会評議委員(1978-2007)、日本学術会議連携会員
内藤記念科学振興財団科学奨励賞(1989)、 日本ワックスマン財団学術研究助成賞(1988)、日本医師会研究助成賞(1987)を受賞
谷口 香 さん(文・イラスト)
好きなもの:お菓子作り 大相撲 プロテイン
学習院大学文学部史学科卒業
同大学大学院人文科学研究科史学専攻博士前期課程中途退学

学生時代は虫を介する感染症の歴史に忘我する。とりわけツェツェバエの流線型の外見の美しさとは裏腹の致死率ほぼ100%(未治療の場合)という魔性の魅力に惹かれてやまない

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