免疫学の今 ~ 免疫寛容とは? ~

2022.08.01

免疫寛容とは

免疫寛容とは何でしょうか。免疫について、ただぼんやりと「病気から体を守るしくみ」ということしか知らない人や免疫そのものに興味のない人にとって、この言葉からその意味を連想することはとても難しいように思います。ありきたりな日常生活を送る中でこの言葉を耳にしたり口にしたりする機会もそうそうないのではないでしょうか。

免疫とは、体内の異物を排除しようとするシステムで、私たちの健康を維持するためになくてはならない重要な機能です。ですが、この免疫機能に異常が生じると、自分の組織を異物とみなして排除しようと働き、関節リウマチやI型糖尿病などの自己免疫疾患を引き起こすことがあります。異常が生じる理由はさまざまですが、いずれも治療法としては主に免疫抑制剤を使用した免疫抑制療法が用いられています。免疫抑制剤は日々進化していますが、身体を守る機能である免疫機能を抑制する以上、感染症やがんを患うリスクの上昇は避けられず、とても効果的ではありますが決して手放しで喜べる治療法とは言えません。

一方で、免疫寛容とは、免疫システムが体内の異物に対し、排除するのではなく受け入れること(寛容)をいいます。もちろん、寛容になりすぎるとどんなものでも受容してしまうため、免疫抑制剤の副作用のようにあらゆる感染症やがんにかかりやすくなります。そうならないためには、広範囲で免疫システムを寛容にさせるのではなく、特定の、寛容にさせたいものに対してのみ寛容にすることが理想的な免疫寛容の形です。もし免疫寛容を自在に操ることができれば、多くの人を悩ませる花粉症や食物アレルギーといった身近な症状から重症度の高い自己免疫疾患や移植拒絶反応まで、免疫システムが関与するあらゆる病気の治療が可能になります。免疫寛容のしくみの解明と臨床応用は免疫学者や免疫治療に係わる人々の夢であり、この免疫寛容プロジェクトもその夢のための重要な一翼を担っています。

誘導型抑制性T細胞とCD80/86

免疫寛容は世界中でさまざまな研究が行われていますが、この免疫寛容プロジェクトではCD80/86という分子の抗体を用いて作製された誘導型抑制性T細胞による移植拒絶反応の抑制を目指した研究を行っています。CD80/86分子とは、拒絶反応など免疫反応をコントロールするT細胞を活性化させる分子です。その分子の抗体、つまり拒絶反応を司るT細胞を反応させないためのブロッカーを投入した環境下で、臓器提供者さん(ドナー)のT細胞と臓器提供を受ける患者さん(レシピエント)のT細胞を一緒に培養し、それぞれのT細胞に互いを「異物ではない」「共存できる」と教育・認識させることで相互的に寛容状態にします。そして、その培養したT細胞(誘導型抑制性T細胞)を移植手術後の患者さんの身体に投与し、臓器提供者さんの臓器に対して「異物ではない」「共存できる」という認識を患者さんの体中に伝染させ、移植臓器に対する拒絶反応を起こさせない、つまり、免疫寛容を誘導するというものです。

誘導型抑制性T細胞が免疫寛容を誘導するしくみの詳細はまだはっきりとはわかっていません。ですが、刺激を抑えた環境で敵対し合うもの同士を同じ場所で教育し、やがて互いが敵ではなく共存しうる関係だと認識させることができれば、互いが互いの存在を容認するようになるというのは、まるで外交や人間関係の縮図のようでとても興味深く感じられます。免疫システムは拒絶と共存という右翼と左翼に日々振られながら体内でバランスをとり、私たちの健康を維持してくれています。

「かなりあいまいに、条件次第でどちらにでも働くようにセットされ(略)、こういうあいまい性こそ、生命をしなやかで強靭なものにしているのです」

これは奥村先生の師である多田富雄先生の言葉です。免疫のシステムは体内の均衡を保つ万能的なシステムであり、異物を排除するだけでなく、それを受けいれ共存する理想的なしくみでもあります。多田先生の残した言葉には、免疫の、毒にも薬にもなりうるその柔軟性が免疫寛容を成立させ、免疫治療にあらゆる可能性があるということが示唆されています。

医療費、ポリファーマシーのリスク軽減

免疫寛容を達成することは、あらゆる不便や不利益から臓器移植患者さんを解き放つことでもありますが、それだけではありません。年々増加する医療費問題や、近年注目されつつある高齢者を中心としたポリファーマシー問題にも関与しています。ポリファーマシーとは、多くの薬を併用することによって起こる副作用や有害事象のことです(たくさん薬を服用しても治療に効果がある場合はポリファーマシーとは呼びません)。前述したように、免疫抑制剤は重要な薬ではありますが、副作用もとても大きな薬です。免疫抑制剤で維持される移植手術後の生活は、あらゆる感染症を避けるために大きな制限が生じ、したがって内服薬も増えることになります。やがて年を取れば高齢化に伴う処方薬がさらに増え、ポリファーマシーのリスクも上昇することになるでしょう。免疫抑制剤からの解放は医療費の削減に寄与するとともに、ポリファーマシーのリスク軽減にもつながっています。

免疫寛容プロジェクト発足に至るまでには長い道のりがありました。免疫学は日本のお家芸とまで評される現在の姿からは想像することができませんが、かつて免疫学において日本はまったくの後進国でした。日本に免疫学という学問さえ存在していなかった時代、先人の弛まぬ努力と輝かしい功績によって日本は免疫学で世界をリードするまでになっています。地道な研究の積み重ねは日々免疫学を進歩させ、少し前までは治療が難しいと考えられていた病にもアプローチできるようになるなど、今日の医療に多大な貢献をしています。ここではそのような免疫治療の今にフォーカスし、私たちが普段知る機会のない研究の中身やその研究に携わる意義,そして今後の免疫治療の展望についてお伝えしていきたいと思います。

考資料

  • 多田富雄 著 『寛容のメッセージ』 青土社 2013年
  • あなたのくすり いくつ飲んでいますか? ‹ くすり知恵袋 | くすりの適正使用協議会 (rad-ar.or.jp)
  • 【研究成果】小児における多剤併用が副作用発現のリスクを高める ~小児のポリファーマシー~|岐阜薬科大学 (gifu-pu.ac.jp)

奥村 康 (おくむら こう)先生
好きなもの:ワイン、赤シャツ、カラオケ(そして神戸)
千葉大学大学院医学研究科卒業後、スタンフォード大・医、東大・医を経て、1984年より順天堂大学医学部免疫学教授。2000年順天堂大学医学部長、2008年4月より順天堂大学大学院アトピー疾患研究センター長、2020年6月より免疫治療研究センター長を併任。 
サプレッサーT細胞の発見者、ベルツ賞、高松宮奨励賞、安田医学奨励賞、ISI引用最高栄誉賞、日本医師会医学賞などを受賞。
垣生 園子 (はぶ そのこ)先生
好きなもの:エビ、フクロウ、胸腺
慶応義塾大学医学部卒業後、同大学院医学研究科にて博士号取得。同大学医学部病理学教室助手、ロンドン留学等を経て、1988年に東海大学医学部免疫学教室初代教授に就任。2008年より同大学名誉教授、順天堂大学医学部免疫学講座客員教授。
第32回日本免疫学会学術集会 大会長、 日本免疫学会理事(1998-2006)、日本免疫学会評議委員(1988-2007)、 日本病理学会評議委員(1978-2007)、日本学術会議連携会員
内藤記念科学振興財団科学奨励賞(1989)、 日本ワックスマン財団学術研究助成賞(1988)、日本医師会研究助成賞(1987)を受賞
谷口 香 さん(文・イラスト)
好きなもの:お菓子作り 大相撲 プロテイン
学習院大学文学部史学科卒業
同大学大学院人文科学研究科史学専攻博士前期課程中途退学

学生時代は虫を介する感染症の歴史に忘我する。とりわけツェツェバエの流線型の外見の美しさとは裏腹の致死率ほぼ100%(未治療の場合)という魔性の魅力に惹かれてやまない

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