免疫学の歴史~免疫寛容誘導への挑戦~ vol.3 セルソーター:免疫学飛躍の立役者

2022.02.01

世界屈指の規模を誇るアメリカのスミソニアン博物館。19の博物館から構成され、その中の国立自然史博物館は映画「ナイトミュージアム2」の舞台にもなり、その外観や収蔵物を映画やテレビで目にしたことのある方も多いかと思います。そのスミソニアン博物館の国立歴史博物館の中に、一台の古い機械が展示されています(2022年1月現在は展示されていません)。スタンフォード大学医学部遺伝学科より提供されたその機械の名前は「セルソーター」。現在、細胞の研究をする際に欠かすことのできないセルソーターですが、その一号機は歴史的価値が非常に高いものと評価され、スミソニアン博物館に収蔵されました。

セルソーター
(出典:cell sorter | Smithsonian Institution (si.edu)

「このセルソーターは近代アメリカにおける医学で最も貢献した機械に選ばれました。その隣には月ロケットが展示されています(当時)。セルソーターがロケットと並べても遜色ない貢献をしたとアメリカ人は認めているわけですね」(奥村先生)

ヘルツェンバーグ教授との出会い

多田先生とともにサプレッサーT細胞(免疫反応を抑えるリンパ球)という画期的な免疫機能の発見をした奥村先生。その発見以降、行く先々の学会で「サプレッサーT細胞とヘルパーT細胞(免疫反応をフォローするリンパ球)は同じ細胞なのか、それとも違うのか」と質問されることが多くなり、その議論に終止符を打つべくアメリカ留学を決意しました。

セルソーターとヘルツェンバーグら(奥村先生提供)

そのきっかけとなったのがワシントンで開催された第一回国際免疫学会でのヘルツェンバーグ教授(1931-2013)との出会いでした。ヘルツェンバーグ教授はスタンフォード大学の教授で、細胞を生きたまま分けることができる機械、セルソーターの開発を行っていました。生きた細胞を分けるというこの途方もないアイデアは、ヘルツェンバーグ教授がアメリカのロスアラモス国立研究所で微粒子を分ける物理分野の装置を偶然目にしたことで生まれたと言われています。奥村先生はこの機械を使ってリンパ球を分け、サプレッサーT細胞とヘルパーT細胞が同じものか違うものかを研究しようと考えていました。

「ヘルツェンバーグという人は30代でスタンフォードの教授になった遺伝学者で、彼の下で学びたいポスドク(博士研究員)が70人くらい順番を待っていました。これでは普通に待っていても到底無理なので、もうアメリカに行って待っていようと思って、NIH(アメリカ国立衛生研究所)で研究をしながらアプローチを続けました」(奥村先生)

その甲斐あってヘルツェンバーグ教授の下で研究ができることになった奥村先生ですが、セルソーターは一号機ということもあり、度々動かなくなっては研究者たちの頭を悩ませたそうです。

「もうしょっちゅう動かないんです。明け方5時くらいからやって、細胞を用意して、7時くらいに技術者が来て、それが全部パーになって。頭にきて何度蹴飛ばしたことかわかりません」(奥村先生)

そんな一号機に悪戦苦闘しながらも留学生活が後半に差し掛かってきたころ、抗体を使ってキラーT細胞(標的を破壊するリンパ球)とヘルパーT細胞を分けることに成功した人物が現れました。それはハーヴィー・カンターという有名な免疫学者で、奥村先生は彼にT細胞を分けるための抗体を分けてもらい、セルソーターを使ってサプレッサーT細胞とヘルパーT細胞は別物であるということをアメリカで発表し、帰国の途に就きました。

ノーベル賞級の発明

やがてセルソーターは製品としてコマーシャライズされ、当時奥村先生のいた千葉大に日本最初のセルソーターが設置されました。日本に一台しかないその貴重な機械を使うため、たくさんの研究者が千葉大を訪れたそうです。垣生先生もその一人です。

「私は当時東海大にいましたから、東名を通って、首都高を通って、千葉まで行くわけです。でもね、3回に1回働くか働かないかなんです。今の学生さんたちはT細胞にどんな種類があって、それがどのような働きをするかわかるような授業を受けていますが、この機械がなければそれはわからなかったんです。これがなければ今の免疫細胞の機能はずっと後になるまでわからなかったと思いますよ。ノーベル賞ものなんです」(垣生先生)

現在の小型化されたセルソーター
(出典:BD FACSMelody™ (bdbiosciences.com)

その後セルソーターは量産化され、どこの研究機関でも目にすることは珍しくなくなりました。当初は付属品なども含めると部屋を一つ占領するほどの大きさでしたが、今日では家庭用冷蔵庫ほどのサイズになっています。その性能や機能も格段に進歩し、iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の幹細胞研究における細胞分離など、医学に多大な貢献をし続けています。歴史を遡ればレントゲンや電子顕微鏡など、革命的なアイデアや発明によって医学は飛躍的に発展してきました。そしてその可能性はあらゆる難題を解明する希望の光となっています。免疫学の進歩を支えるこれからの科学技術の発展にも注目です。

参考資料
cell sorter | Smithsonian Institution (si.edu)
CDB Millennium 発生と再生 -Research Technologyセルソーター- (riken.jp)
The History of the Cell Sorter Videohistory Collection | Collection | SOVA (si.edu)


奥村 康 (おくむら こう)先生
好きなもの:ワイン、赤シャツ、カラオケ(そして神戸)
千葉大学大学院医学研究科卒業後、スタンフォード大・医、東大・医を経て、1984年より順天堂大学医学部免疫学教授。2000年順天堂大学医学部長、2008年4月より順天堂大学大学院アトピー疾患研究センター長、2020年6月より免疫治療研究センター長を併任。 
サプレッサーT細胞の発見者、ベルツ賞、高松宮奨励賞、安田医学奨励賞、ISI引用最高栄誉賞、日本医師会医学賞などを受賞。
垣生 園子 (はぶ そのこ)先生
好きなもの:エビ、フクロウ、胸腺
慶応義塾大学医学部卒業後、同大学院医学研究科にて博士号取得。同大学医学部病理学教室助手、ロンドン留学等を経て、1988年に東海大学医学部免疫学教室初代教授に就任。2008年より同大学名誉教授、順天堂大学医学部免疫学講座客員教授。
第32回日本免疫学会学術集会 大会長、 日本免疫学会理事(1998-2006)、日本免疫学会評議委員(1988-2007)、 日本病理学会評議委員(1978-2007)、日本学術会議連携会員
内藤記念科学振興財団科学奨励賞(1989)、 日本ワックスマン財団学術研究助成賞(1988)、日本医師会研究助成賞(1987)を受賞
谷口 香 さん(文・イラスト)
好きなもの:お菓子作り 大相撲 プロテイン
学習院大学文学部史学科卒業
同大学大学院人文科学研究科史学専攻博士前期課程中途退学

学生時代は虫を介する感染症の歴史に忘我する。とりわけツェツェバエの流線型の外見の美しさとは裏腹の致死率ほぼ100%(未治療の場合)という魔性の魅力に惹かれてやまない

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