場集田先生コラムVol.001

2020.10.31

諦めない気持ち(1)

私は大学時代にお世話になった神経内科の教授に「諦めない」ことの大切さを教わりました。Treg治療という観点から考えると、まったく白紙の状態から「諦めず」に試行錯誤を重ねて参りました。このコラムではその過程を数回に分けて振り返ってみたいと思います。

私が移植免疫を研究するために鹿児島から上京してもうすぐ30年。当時リンパ球表面抗原が次から次へと発見され、それらに対する抗体が作成され、そのうちの数種類はマウスの臓器移植の系において免疫寛容を誘導することが分かりました。ヒトにおいて「免疫寛容」を誘導するのは一見容易に思えますが、多くの研究者達はその厚い壁に何度も跳ね返されてきました。「(免疫寛容を誘導したといっても)所詮ネズミでの話でしょう」と臨床家にはよく言われたものです。確かにマウスを用いた実験では免疫寛容状態を誘導可能でも、サルを用いると同様の手法でも移植した臓器に拒絶反応が起こることは世界中で確かめられていました。

1997年頃だったでしょうか、ある手法を用いてアナジーという状態になった細胞は生体内で抑制細胞として働く可能性があり、それは生体内でもアロ抗原を抑制するというアイディアを偶然耳にしました。先行研究はありましたが、私の実験と同じような方法ではなく、自分の研究スタイルに合わせた実験を組まなければなりません。その先は試行錯誤。その結果、ドナーの細胞とレシピエントのT細胞を1~2週間混合培養し、その中に至適濃度で抗CD80/CD86抗体を添加すると、アロ免疫反応を抑制する細胞が得られたのです。レシピエントには3Gyの放射線を照射することもポイントでした。レシピエントの脾臓から得られる細胞は1×10の8乗個ほどですが、その100分の1程度の培養細胞を放射線照射したマウスに移入すれば(ドナーの系に対して)「免疫寛容」状態になることが判明したのです。

その実験結果をもって大動物で検証実験をやりたいと考えていた矢先に東京女子医大の君川医師が登場。彼はアメリカでサルを用いた腎移植手技を取得し、何か斬新なアイディアで免疫寛容状態を誘導できないかを考えていました。二人で協議した結果、ドナーとレシピエントの脾臓からリンパ球を採取し、抗CD80/86抗体の存在下に2週間することと、レシピテントに放射線を照射する替りにサイクロフォスファミド(リンパ球を可及的に少なくするため)を使うことになりました。腎臓移植後しばらくの間、少量のシクロスポリンを用いますが、移植した腎臓は6例中4例で200日以上生着しました。細胞培養も結構難しかったことを覚えています。これも試行錯誤の結果、現在の手法にかなり近いものになりました。さて、その結果を論文発表したのですが、ここでも最初の投稿では「Reject」されました。普通ならその雑誌よりもImpact Factorの低い雑誌に投稿し直すのですが、私の感覚では逆。思い切ってNature Medicineという、グレードのかなり高い雑誌に投稿したのです。すると評価してくれるレビューワーもおられました。結果的には一人の査読者の難題をクリアできずにRejectされましたが、諸変遷を経て、2005年にJ. Clinical Investigationにacceptされたのでした。

次回は論文発表後の足取りについて述べてゆきます。

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