3人の研究者の旅立ちに寄せて(後編)

2024.04.01

◆それぞれのステップアップ

3人は4年間の大学院生活で培った知識や経験を新しい武器に、それぞれ違う道を行くことが決まっています。

松本先生は8月からアメリカ・ベイラー医科大学でがん免疫の基礎研究のために留学することが決まっています。もともと消化器外科でがんを切除するのがライフワークだったと語る先生は、この4年間を糧に、さらに関心の高い分野に飛び込もうとしています。

「すごく良い留学先だと思っています。遺伝子治療と免疫治療を組み合わせたがんの研究を行っていて,頭頚部がんや乳がんで結果を出している大学です。ここで学べることが、最も根治の難しいといわれる膵がんの治療に応用できないかなと思っています。きっと移植免疫を学んだことが活きますし、実際に何をやるかは行ってみないとわかりませんが、それが自ずとやりたいことになっていくと思っています」(松本先生)

原田先生は4月以降も研究室に在籍しながら、機を待ってアメリカ・カリフォルニア大学に留学予定です。現在日本で行っている免疫寛容の治験を、アメリカを舞台に生体腎移植で挑戦する準備に忙しい毎日を送っています。

「免疫は研究の幅が広い領域だと思っています。ここでやっているような免疫抑制剤を減らす取り組みもそうですし、特定の抗体に対する拒絶反応の研究、免疫抑制剤を調節するための免疫モニタリングもまだなく、未解決な問題がたくさんあります。そういう意味でも面白いと思っています。また、かつて医学部生時代の留学で関わっていた膵島移植の研究でもリベンジできたらと思っています」(原田先生)

一方、徳重先生は、基礎研究を継続する2人とは異なり、4月から臨床に戻ることが決まっています。

「2人は興味のあるところをひたすら進んでいますが、自分は海外に行ってまで得ようと思うものが見つかりませんでした。私は田舎の出身なので、もともと地域医療に興味があり、恵まれているところからそうでないところまで知っていますが、この現状をどうにかしたいという思いがこの4年間ずっと頭の中にありました。何とか理想的な医療モデルができないかなと思って、群馬にある、24時間365日閉まらず、0歳からでも拒まずに受け入れるというクリニックを見つけて。ここで日々奮闘しながら、地域医療の現状を打開できるストラテジーをたてられたらと思っています」(徳重先生)

それぞれが今後の進路を語る一方、治験のプロジェクトに携わったことで新しい世界を垣間見ることができたと3人は語っています。

「ここに来て、たった一つの出会いが数億円規模の研究に繋がり、それが広く世界に広がっていくことを感じられたのは本当にすごいことだと思います。外科医として自分の臨床をやっているだけでは絶対に届かなかった先のビジョンを見させてもらいました。自分もそういったところに貢献できる人間になりたいと思っています」(原田先生)

「多職種連携というのは病院でも意識するところですが、ここでは他組織連携というものを学ぶ絶好の機会になりました」(徳重先生)

原田先生の語る「たった一つの出会い」とは、コラムでも度々登場する奥村先生、垣生先生の紹介でセミナーに招いた東京大学教授の堀昌平先生のことで、この縁をきっかけに共同研究の話がアメリカでまとまり、AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の大規模な支援を得て、新たな創薬プロジェクトが実現しました。思い描いたアイデアを実現化させていくステップを間近で経験できたことは、3人にとってとても大きな財産となったようです。

「そしてお二人からは、研究は楽しくやることが一番大切ということを学ばせてもらいました」(松本先生)

免疫学の大家でありながら親しみやすいキャラクターで、自身の経験を交えながら、海外で学ぶこと、人脈を作ること、コラボすることの大切さと意義を唱えてきた奥村先生と垣生先生。基礎研究に奮闘する3人をいつも暖かい目で見守ってくれていました。そして、免疫を語る時の心底楽しそうな両先生から、研究は楽しんでするものであるという、多忙な研究生活で忘れがちな研究者の心構えも教わったようです。

「人生いろんなことがありますからね。ぜひ籍を置いて、ここを基盤にしてもらえるとありがたいです。行ったり来たりしたらいいですから。向こうでけんかしたらこっちに帰ってきたらいいんです」(奥村先生)

「外科医はね、手術の後、患者さんがとても喜んでくれるんです。僕はそれが好きでした。弱い人間なので(笑)」(松本先生)

患者さんに喜んでほしくて外科医を志したと率直に語る松本先生。どの専門医でも患者さんからありがたがられるのではと思いきや、近年、患者さんの多くがインターネットで知識を得てから診療に臨むことが多いため、ちょっとやそっとのことでは「それはもう(調べて)知っています」的な反応を示すことが多く、医師の診断や処方に感謝する人やその度合いは減ってきているそうです。

「もともと外科医にはなろうと思っていましたが、感謝されると実際気持ちが良いものです。だから患者さんに直接感謝されない研究生活は物足りないなんて、そんなこと絶対思ってませんよ!ただ、この4年間は一回も感謝されてないんじゃないかな。マウスは全然喜んでくれませんし(笑) 。でも、自分の研究がいつどこで役に立つのかわかりませんが、いつか患者さんの役に立つと信じて辛いことがあっても耐えながら研究を続けています」(松本先生)

3人が順天堂大学に来て間もないころ、ある座談会で将来の夢について語ってくれたことがあります。言葉はそれぞれ違いましたが、基礎研究で患者さんの希望に繋がる結果を出したいということが、臨床出身ゆえか、強く共通していたように思います。松本先生のモットーである「外科医らしく、患者さんにまっすぐな研究」、徳重先生が感銘を受けた「24時間365日医者で在れ」という小柳先生の言葉、そして原田先生が研究当初から目標として掲げるリバーストランスレーショナルリサーチ(臨床的視点をもった研究活動によって、臨床と基礎研究の橋渡しになるような研究)。3人全員が、実際の患者さんに届けられる結果を導けるような研究者を、医師を目指して、新たな一歩を踏み出します。

4月から違う道を歩むことになる3人ですが、悩みを共有し、喜びを分かち合った4年の月日で築かれた絆は一生の宝物です。今後、それぞれがより関心の高い分野に進み、医療のため、そして医療を必要とする患者さんのために高い志をもって邁進し続けることで、どんなに離れた場所にいても心はずっと繋がっていることでしょう。免疫寛容の研究に勤しんだこの4年間、挑戦と挫折の連続だったと思いますが、人生というのは順風満帆な日々よりも多少の抵抗感がある方が達成感や生きがいを感じられるものでもあります。そして、その抵抗が強ければ強いほど高く舞い上がれます。「凧は追い風よりも向かい風の方が高く上がるものだ」。かつての英国首相、ウィンストン・チャーチルの言葉です。この研究室での経験が3人の発想力や挑戦力、そしてリサーチマインドを培い、今後あらゆる局面で彼らに自信とひらめきとエネルギーを与えてくれると信じています。


奥村 康 (おくむら こう)先生
好きなもの:ワイン、赤シャツ、カラオケ(そして神戸)
千葉大学大学院医学研究科卒業後、スタンフォード大・医、東大・医を経て、1984年より順天堂大学医学部免疫学教授。2000年順天堂大学医学部長、2008年4月より順天堂大学大学院アトピー疾患研究センター長、2020年6月より免疫治療研究センター長を併任。 
サプレッサーT細胞の発見者、ベルツ賞、高松宮奨励賞、安田医学奨励賞、ISI引用最高栄誉賞、日本医師会医学賞などを受賞。
垣生 園子 (はぶ そのこ)先生
好きなもの:エビ、フクロウ、胸腺
慶応義塾大学医学部卒業後、同大学院医学研究科にて博士号取得。同大学医学部病理学教室助手、ロンドン留学等を経て、1988年に東海大学医学部免疫学教室初代教授に就任。2008年より同大学名誉教授、順天堂大学医学部免疫学講座客員教授。
第32回日本免疫学会学術集会 大会長、 日本免疫学会理事(1998-2006)、日本免疫学会評議委員(1988-2007)、 日本病理学会評議委員(1978-2007)、日本学術会議連携会員
内藤記念科学振興財団科学奨励賞(1989)、 日本ワックスマン財団学術研究助成賞(1988)、日本医師会研究助成賞(1987)を受賞
谷口 香 さん(文・イラスト)
好きなもの:お菓子作り 大相撲 プロテイン
学習院大学文学部史学科卒業
同大学大学院人文科学研究科史学専攻博士前期課程中途退学

学生時代は虫を介する感染症の歴史に忘我する。とりわけツェツェバエの流線型の外見の美しさとは裏腹の致死率ほぼ100%(未治療の場合)という魔性の魅力に惹かれてやまない

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